※百合姫2018/4月号ネタバレしています、未読の方はご注意ください。 その日は私は一睡もしなかった。すぐに寝てしまう私が徹夜をするのはこれが初めてのこと。何故徹夜したかというときっと朝自分で起きることができないだろうと思ったから。 やることはすべてやった。あとはお母さんに話をしてこの家を出ていく。それだけのこと。 部屋を出ようとして思わず振り返りたくなるのをなんとかこらえる。 いけない。見てはいけないのだ、絶対に。 でも。でも、これが最後だから。もう一度だけ。背中しか見えないかもしれないけれどそれでも。 恐る恐るゆっくり振り返って寝ている柚子を見る。すると、ちょうど柚子が寝がえりをうってこちらを向いた。その口をぱっかり開けて遠目からみてもわかるぐらいよだれをたらしている。初めてそれを見た時はとてもびっくりしたものだ。そんな場合ではないのに私はなぜか少し笑ってしまった。しばらくその寝顔を見つめて、目にやきつけて。 私は静かに部屋を後にした。 「あの・・・、すみませんこんな朝早くから」 お母さんには今日の朝話があるので時間をとってもらうように言ってあった。 「大丈夫よ気にしないで。で、お話って何かしら?」 「はい。あの。お時間とらせてしまってもいけないので、手短に言います。私、・・・今すぐではないのですけど近いうちに結婚するんです。だから、急で申し訳ないんですけどもう今日ここを。この家を出ていきます」 「結婚・・・?芽衣ちゃんまだ高校生でしょう、早くないかしら?」 「いえ。決められてましたし。藍原家をつぐにはさけては通れない道なんです」 「そう。でも決められてたってどういうことなのかしら?前芽衣ちゃん恋人がいるって言ってたわよね。しかも相手は確か同じ年だって。その相手と結婚するの?」 「いいえ・・・」 「え。じゃあ好きでもない決められた許嫁と結婚するってこと?」 「はい」 「そんな。芽衣ちゃんはそれで幸せなの?その今の恋人と結婚できない理由でもあるの?」 「はい、その色々と・・・」 「その恋人のことはまだ好きなの?」 「はい」 「何かしら、その人と結婚できない理由って。私には言えないことかしら?」 「・・・すみません」 「そう、そんなに深い事情が・・・、あれ?芽衣ちゃんその手・・・」 「?」 「その左手の薬指の指輪は何?」 「あ、えっと・・・」 「ああ、そうか結婚するんだものね。もうその結婚相手からもらったのね」 そうだと頷けばよかっただけなのにひどく動揺してしまった私をお母さんは見逃さなかった。 「その様子だと違うのね」 「・・・」 「誰にもらったの?教えて芽衣ちゃん」 「あの。恋人に・・・」 「えっ。じゃあその恋人にプロポーズされてるってことじゃないの」 「それはその・・・」 「そんなに相思相愛なんだったら結婚したってお付き合い続けてればいいんじゃない?」 「それはできません」 「どうして?」 「私はそうしてでも一緒にいられるなら幸せです。でも、相手はそれで傷ついてしまって幸せになれないので。その相手には幸せになってほしいんです、私のせいで不幸になってほしくないんです」 「そう。なるほどね。本当にその人のことが好きなのね芽衣ちゃんは」 「・・・」 「話はわかったわ。あ、柚子には言ったかしら?」 「あ、えっと。そのことなんですが」 「?」 「柚子には言わないでほしいんです」 「え?どうして?」 「ごめんなさい理由は言えません。でも言わないでほしいんですお願いします」 「柚子はそんな妹が先に結婚したからって嫉妬したり怒ったりするような人間じゃないわよ?むしろ芽衣ちゃんが結婚するなら喜ぶし祝ってくれると思うけど」 「それはそうなんですが・・・」 「芽衣ちゃんが言いにくいなら私から言ってもいいわよ?」 「いえあの。言わないでくださいお願いします」 「・・・ねえ芽衣ちゃん。何か隠してるでしょう、お願い全部正直に話して?もうこの家を出るのだったら気まずいこともないのだし。今から聞いたことは私は絶対に誰にも言わないから。ね?」 「・・・」 「じゃあひとつだけ教えて。どうして柚子に言ってはいけないの?」 「それは、その・・・」 「ええ」 「・・・柚子が、傷ついてしまうので」 「・・・」 私が言うとお母さんはしばらく考え込む風にして言う。その言葉に息を飲むほど驚いた。 「さっき、芽衣ちゃんは恋人と結婚できないのは相手が、その恋人が傷づくからって言ったわよね。もしかしてその恋人って柚子のことかしら?そうとしか思えないのだけど」 「いえ、あの・・・」 違う。そんなわけないと笑って言いたいのに。そうしなくてはいけないのに予想してなかったことを言われた私は思わず言葉に詰まってしまった。 「芽衣ちゃんはわかりやすいわね。そんなに動揺したらそうだって言ってるようなものよ?」 「いえ、あの。違います。本当に」 「あらだって。その恋人とは相思相愛なのに、指輪までもらってるのに結婚できなくて。結婚することを言うと相手が傷つくから言えなくて。で、その恋人は芽衣ちゃんと同じ年で。芽衣ちゃんはずっと女子校にしか行ってないのにどうやって男の同級生と恋人になるのかしら?全部芽衣ちゃんの恋人が女の子だとしたらすべて納得がいくのだけど違うかしら?あと柚子には柚子が傷つくから言えないわけよね。で、柚子は芽衣ちゃんと同い年で女の子よね。どう考えても芽衣ちゃんの恋人は柚子としか思えないのだけど?」 「・・・」 「怒ったりしないから。だから本当のこと教えて?芽衣ちゃん」 「・・・すみません」 「謝るってことは本当なのね?」 「ごめんなさい・・・」 自分の娘が女の子と。私と、そういう仲だなんてきっと傷つくはず。もう誰も傷つけたくないのに。こらえきれずにボロボロ泣く私をお母さんは優しく慰めてくれた。 「芽衣ちゃん謝らなくていいのよ。私は何も嫌だとも怒ったりもしてないの。むしろ嬉しいわ、柚子のことをそんなに好きでいてくれて。こちらこそごめんなさいね、つらいのに助けてあげられなくて」 ただ泣くしかできない私が落ち着くまでお母さんは背中をずっとさすってくれた。何故だか柚子にそうしてもらった時の感触に似ているなと思った。 「柚子には言わないでおくわね。だから安心して」 「はい。ありがとうございます」 「あと芽衣ちゃん、これは私からの提案なんだけれど」 「?」 「せめて1か月に1度くらいでもいいから柚子と手紙のやりとりでもするというのはどうかしら?ね?そのぐらいのことならいいでしょう?」 「・・・わかりました」 「よかったわ。あ、もう柚子が起きてくるかもしれないわね」 「はい。じゃあ、あの。これで失礼します」 「元気でね、芽衣ちゃん」 「はい、お母さんもお元気で」 振り返らず急いで外に飛び出す。徹夜明けの目には朝の光は眩しすぎて目を細めながら新しい家へと急いだ。 家に入りとりあえずベッドに潜り込む。徹夜明けなので寝ないともう耐えられそうにないから。布団をかぶるとすぐに眠気がきてそのまま目を閉じた。眠りに入る前に無意識につぶやいた。 「おやすみなさい、柚子」 「どう?芽衣ちゃん元気にしてるって?」 「うん。大丈夫みたい」 芽衣ちゃんからの手紙を本当に嬉しそうに目を細めて読んでいる柚子の首元には指輪がかけれていた。あの日からずっとかかさずかけている。もうあの日から6年も経つのに二人はまだ愛し合っているということになんだか感心してしまう。この6年間一度も会ってないどころか電話もしてないから声も聞いてないし一ヶ月に一度手紙をやりとりしてるだけ。写真すら送ってないみたいだし。それでもお互いの気持ちがかわることはきっと今後もないのだろう。純愛というやつだろうか。こんな恋愛してみたいものだと思った。 「あ、そうだママ。あたし今日遅くなるかもしれないから」 「あら。じゃあ、もしかして・・・」 「そう。そのもしかして、かな」 「・・・頑張ってね」 ありがとう、と言ってまた手紙を読み始めた柚子を見て心の中で願った。 どうか二人が結ばれて幸せになれますように。 休日は柚子からの手紙を今までの分まで含めて読みふけるのが習慣だった。 あの時こうして1か月に1度手紙をやりとりすることにして本当によかったと思う。手紙を読むのは楽しいけれど記憶にきちんと残っている柚子の字を見ると少しだけ切なくなる。でもこの6年間もらった手紙は穴が開くほど読み返してるけれどちっともその内容が変わらないことにひどく安堵する。まず書いてある内容がちょっとよくわからないこと。漢字や文字を書き間違えてペンで消したあとがあちこちあること(消しゴムでは消せないらしい)。それから本人はかわいいと思っているのだろうけどなんだか気色の悪いキャラクターのデザインの便せんを使っていること。6年もたっても何も変わらないなんて本当に柚子らしい。 とりあえずさっき届いた新しい手紙を読んだのだけど。 「・・・?」 手紙の最後に何か小さく英文が書いてあるのに気が付いた。 それを見て言葉を失う。そこにはこう書いてあった。 【I love only you】 ――私はあなただけが好き。 「・・・ばかね」 私はため息をついて、しばらくその文字を眺めていた。 すると。トントン、と部屋のドアを叩く音がする。 一体誰だろう、今日は休日なのだし私の部屋にくるなんて家族ぐらいしかいないはず。よくわからないがとりあえず通すことにする。 「どうぞ」 ガチャっと扉が開いて入ってきたその姿に心臓が止まるかと思うくらいびっくりする。 「・・・柚子?」 どうしてここに。そう言いたいのに言葉がでてこない。 「芽衣、玄関開いてたよ、だめだよ用心しなくちゃ」 5年ぶりに聞くその心地よい声。姿もちょっと私の記憶の中の柚子より少し大人っぽくなっていて。背もちょっと伸びたのだろうか。でも照れくさそうに笑うその笑顔は変わらないのだなと思った。 「どうして来たのよ」 思わず責めるように言ってしまったというのに柚子はにこにこ笑いながら、 「迎えに、来たんだよ」 「え?誰を・・・?」 「芽衣にきまってんじゃん」 「・・・」 私を迎えにきたって。そんなこと。そんなことあるわけない。 「ん?何きょろきょろして」 「・・・夢かしら、と思って」 「あー。びっくりさせちゃったねごめん。夢じゃないよ、なんなら確かめてみれば?」 「確かめる・・・?」 「芽衣知らないかな。夢かどうか確かめるときってほっぺたつねるんだよ。で、痛かったら現実で、痛くなかったら夢っていう。ほら、やってみて?」 言われた通り自分の頬をつねってみた。 「どう?」 「・・・痛い、けど」 「じゃあ夢じゃないんだよ」 「・・・」 「うーん。じゃ説明するから聞いて?あのさ。今藍原家の事業を店長がやってて学院のほうは芽衣がやってるわけでしょ。だからさ、もう話はつけてあるんだ。店長の・・・まあ今は店長じゃないけど。店長がやってることはすべてあたしがやることになったんだよ。離婚するのはまあ世間体があるから難しいし待ってくれって言われてるんだけどね」 「・・・そんな。あなたがうちの事業なんてできるの?」 「うん。あたし頑張ったんだよ。大学も出て資格もとったし。バイトもその事業が引き継げるような仕事して訓練したんだ。ほんとだよ」 「・・・」 「あとさ。小さいけど住む家も買ったんだ。少しだけど貯金もあるよ。芽衣が心配することは何もない。6年もかかっちゃってごめんね」 「・・・ほんとに?」 「うん、ほんと」 嬉しい。死ぬほど嬉しけれど。これで柚子の手を取ってしまったら。私はまた誰かを不幸にして傷つけてしまうのではないだろうか。本当に柚子と一緒にいる未来を選んでしまってよいのか。悩む私に柚子は優しく言ってくれた。 「あのさ。芽衣はあのノートに、あたしが幸せになることを祈ってるって。あたしに幸せになってほしいってそう書いてくれたよね」 「ええ」 「あたしは芽衣と一緒にいるのが一番幸せなんだよ。いられなかったら不幸なの。わかる?」 「・・・」 柚子はベッドに腰かけてる私の前に膝まづいてその右手をすっと差し出す。 「きて、くれるかな?」 「・・・」 しばらく見つめあって。それから私は恐る恐るその手に自分の手を重ねた。 「私を。・・・あなたのところに連れて行って」 うるさい動悸に耐えながらなんとかそう言った私に柚子は嬉しそうに笑って答えてくれた。 「はい、わかりました」 たまにしかない二人そろった休日はこうしてあたりをぶらぶらとただ手を繋いで歩くデートがお決まりだった。 「目的もなく歩くなんてなんか落ち着かないわね」 「あはは。芽衣変わんないねえ」 「これ何が面白いのかしら」 「えー?このただ歩くだけってのがいいんじゃん」 「そうかしらね。・・・って手を振り回すのやめてくれないかしら」 「あ、そうだコーラの新しい味でたからコンビニよらないと」 「人の話聞きなさい」 少し低い位置から聞こえるその声と暖かい手の感触は6年前と何も変わらなくて。6年間手紙のやりとりしかしてなかったのが嘘のようだった。こんなに幸せでいいのか時々怖くなるけれど。怖いのはきっとそれだけ幸せだということなのだと思う。 私はもう決めたから。柚子がこの世からいなくなってしまうその時まで、私は。 ――私は、あなたの隣を歩く。 |