今日は大晦日。 お母さんは用事ででかけていて(何の用事かまでは知らない)、柚子はテレビを見ていて私は本を読んで過ごしていたのだけど。 「芽衣、・・・芽衣」 聞き慣れてる声に夢からさめる。 「起こしてごめんね、もう夕方だから」 「もうそんな時間?」 「うん。もう少ししたらご飯作るよ」 まだ眠くて目をこすりながら何気なく時計を見て驚いた。時計の針は夕方5時を指している。確か自分の記憶が間違いでなければここで本を読み始めたのは1時半だったはず。 「柚子」 「うん?」 「私、いつから寝てたかしら?」 「んーと。2時くらいかな」 そんなに寝てたのか。と思うと同時に疑問が湧き上がってくる。何故、柚子は私が2時から寝てるとわかるのだろうか。それにテレビはつけてないし。 「あなた、3時間何してたの?」 「何にもしてないよー」 「じゃ私が寝てるの見てたってこと?」 「うん!だって」 「?」 柚子は照れくさそうに頭をがしがしかきながら言った。 「芽衣可愛いんだもん」 またか、と私はため息をついた。口を開けばやれ好きだの可愛いの、とそればかり。よくそんなにストレートに気持ちを言えるものだと感心してしまう。少しは恥ずかしいとかないんだろうか。いつも思うけど柚子の頭の中は私には理解できない。 「お母さん、ちょっと遅くないかしら」 「そうだね、さっきメールしたんだけど返事なくてさ、電話してみようかな」 「そうね」 なんて話してるとふいに家の電話がなった。 「あ、ママかな。あたしがでるよ」 そう言って電話をとりにいく柚子。 「ん?ママじゃないなあなんだろこの番号」 首を傾げながら柚子は電話にでる。 「はい、藍原です」 お母さんじゃないみたいなので気になって聞き耳を立てる。 「あ、はい。あたし・・・、じゃなかった、私が娘ですが・・・」 明らかに戸惑った柚子の声で。一体何だろうか。 「はい。・・・はい、わかりました、すぐ行きます」 自分が娘というのとすぐ行くという言葉から私はお母さんに何かあったのだと咄嗟に察した。柚子が受話器を置いて電話を切ったので心配になってそばへ駆けつける。 「柚子?お母さんに何かあったの?」 なんともなけれは柚子のことだからママがね、なんて笑いながら言うはずだ。でも柚子は固まったまま動かない。私が声をかけたのに答えもせず振り向きもしないなんて。よほどのことがあったに違いない。何だろう、お母さんが大怪我したとか。なんて考えていた私だったけど、柚子がゆっくりとこちらを向いてかすれた声で言った言葉に私は耳を疑った。 「・・・ママが交通事故で頭うって意識不明だって」 「柚子、こっち」 柚子の手をひいて、病院の廊下を歩く。 あのあと私は柚子に詳しく聞いた情報を元にとりあえずはお母さんがいるというこの総合病院に来た。集中治療室に来てほしいと言われたと聞いたので病院の案内を見ながらそこへ向かう。柚子は一言も喋らず心ここにあらずといった感じで。この状況なのだから当たり前なのだけど彼女のこういう姿は初めて見た。柚子と姉妹になって、家族になって、恋人になって。彼女のすべてを知っていると思っていたけれどそれは思い上がりなのだと思い知る。 とりあえず私が今はしっかりしなくては。そんな風に思いながら歩いて、集中治療室の前まできた。 「ああ、もしかして藍原さんの娘さん達ですか?」 白衣を着た男性が私達に声をかけてきた。たぶん、お母さんを見てくれている医師なのだろう。 「はい、そうです」 私がそう答えるとその医師は何故こうなったかという経緯を説明してくれた。 お母さんはお仕事の職場の大掃除に本当は行く予定ではなかったけれど手が足りないから手伝いにきてくれと言われて職場へ行き、それが終わった帰りに横断歩道で信号無視した車にはねられて頭を強く打って意識不明の状態、ということだった。 説明を終えた医師に、私は素朴な疑問を聞いてみた。 「あの。お母さん、いえ、母は大丈夫なんでしょうか?」 「体はどこもなんともないんですよ。ただ頭をかなり強く打ったようなのでそのせいだと思いますが意識が戻らないんです。脳には特に異常はないのであとは意識さえ戻れば問題ないんですが・・・」 「じゃあ、意識戻るまで待てば大丈夫なんでしょうか?」 大丈夫と言ってほしいのにその医師はうーんと唸って考え込む。 「だいたい意識なくなる場合、そのまま意識が戻らないのと無事戻る確率は半々ぐらいなんです。目安としてはだいたいそうですね、明日の朝までに意識が戻らないと・・・」 「明日の朝までに意識が戻れば大丈夫ということですか?」 戻らない場合は。・・・というのは聞かなかった。いや、聞きたくないというほうが正しいか。 「そうですね。どうしますか?ここで待ちますか?」 「はい、もちろんです」 当たり前だ。帰るわけない。 「わかりました。急変することもありますから、集中治療室で様子を見ます。意識が戻ったらすぐ知らせますね」 「はい、わかりました」 じゃあ、と去っていく医師を見送って、私は柚子に声をかける。 「柚子、あのね・・・」 「ん。聞いてたよ、わかってる。芽衣、対応してくれてありがとう」 そう言う柚子だったけど目は私のほうを見ずどこか遠くを見ていた。 そんな柚子を見て私はふと疑問に思った。何故、私はこんなに冷静でいられるんだろうか。柚子は自分を見失うほど動揺しているのに。その答えは後でわかることになるのだけど。 とりあえず、立ち尽くしたままの柚子に近くのソファに座るように促し、私はどうしようか考えたが、近くにある時計が夜7時を指しているのを見て、何か食べ物を買ってくることにした。 「柚子、これ食べて」 病院の中にあるコンビニでおにぎりを買って、それを柚子に差し出した。 「ん。ありがと」 「・・・ごめんなさい、どれを買ったらいいかわからなくて。それ食べられるかしら?」 コンビニなど初めて行ったし、あんなにたくさんおにぎりの種類があるとは思わなかったのでまあ食べられればなんでもいいかと適当に買ったのだけど。 「うん、大丈夫だよ」 そう言って柚子が食べようとしてるので私も食べることにしたのだけど。 「芽衣、それかして」 「え?」 「コンビニのおにぎりなんて食べるの初めてでしょ?」 「ええ、そうだけど・・・」 柚子の言いたいことがわからなくて戸惑っていると、 「それね、ちょっと開け方難しいんだ」 「そうなの?」 それならと柚子に渡すと、すぐにパパッと開けて渡してくれた。 「慣れてるのね」 「うん、まあね」 今度こそ食べようとしたのにまた柚子が、 「あ、飲み物すぐ飲めるようにしたほうがいいよ」 「わかったわ」 よくわからないけど飲み物片手に持ちながら一口食べる。 「確かに、パサパサしてるのね」 なるほど、これは飲み物がいるはずだとひとり納得する。 そうなんだよね、なんて小さく呟きながら同じくおにぎりを食べる柚子。 柚子がそのまま黙ってしまったから。私も何も言わずただ二人でうつむいて時間が過ぎるのをただ待っていた。 「・・・芽衣」 「何?」 「ちょっと話してもいいかな?」 「ええ」 もうたぶん夜中ぐらいなのだろうか、明かりは一応あるけどすごく暗くて、そして私達以外に誰もいないしすごく静かだ。この静寂が耐えられないのか、それとも何か言わないと気持ちが耐えられないのか。もしくはその両方だろうか。 「あのさ。あたしどうやってここまで来たか覚えてないんだよね、芽衣がつれてきてくれたんだとは思うんだけど。今は少し落ち着いたけどね、きっとあたしはすごく動揺してたんだね」 「そうね」 「でも、芽衣はそんなことないよね。もちろん驚いただろうしショックだろうとは思うんだけど。芽衣は、どうして自分が、あたしみたいに動揺しないのか、落ち着いていられるのかわかる?」 それは、さっき自分も思ったこと。私は首を振って答えた。 「いえ。それがわからなくて」 「・・・そっか」 「あなたはわかるの?」 私の問いに、柚子はうん、と小さく頷く。 「それはね、・・・ママが芽衣の本当のママじゃないから。血の繋がった肉親じゃないからだよ」 穏やかで優しい声で柚子は言ったけど、あまりに核心をついた言葉に私は言葉を失う。 「芽衣が冷たいとかそういう意味じゃないよ。芽衣はママのこと好きでいくれてると思うし、こんなことになったことももちろんショックだと思うよ。でも、ママと芽衣は血が繋がってないから。で、まあ当たり前たけどあたしとママは血のつながりがあって、ママはあたしの本当のママだからね。だから、あたしはこんなに動揺して、芽衣は大丈夫なんだよ」 ひどく納得すると同時にとても、現実的で残酷な内容。さらに、柚子は言葉を続ける。 「これがさ、もし芽衣のパパ、まあ今はあたしのパパでもあるんだけど。そのパパが同じことになったらきっと芽衣が動揺してあたしは大丈夫なんだろうね」 「・・・そうね」 この人は本当に人の気持ちというものをよくわかっている。だからきっと気持ちが表情にも言葉にもでない私のことも理解して、困ったときは助けてくれるんだと思う。実際に私は柚子に何度助けてもらったことか。普段はデタラメなふりをしているけど、実はそうではないことを私は知っている。 「んー。じゃあ、まあその血のつながりのある肉親が何かあって。いなくなってしまうかもしれないからショックで動揺しちゃうんだけどさ。それはどうしてだと思う?」 柚子の言葉に私は少し考えてから言う。 「・・・いなくなってしまったら悲しいから?」 「うん、そうだね。それが半分だね」 「半分・・・」 「そう、半分」 もう半分は?と私が聞く前に柚子は言う。 「もう半分はね。自分がひとりになってしまうからだよ」 「・・・」 私は何も言えなくて。それをどう思ったかはわからないけど、柚子は言葉を続ける。 「あたしはね、ずっとそれが怖かった。今も、怖いかな。あたしは一人っ子だからママがいなくったらひとりになっちゃうでしょ?だからママが・・・、まあ年とっていなくなってしまうのは仕方ないけど、もしある日いきなりいなくなったら。あたしはひとりぼっちになっちゃうよね。ひとりになるのは、やっぱり怖いな。ひとりになるのが怖くない人もいるんだろうけど、あたしは怖いよ。だから芽衣が妹になってくれたときは本当に嬉しかった。うん、嬉しかったね、・・・でも」 言葉を途切らせた柚子に、私はその先を促す。 「でも・・・?」 「・・・ママがいなくなったら。あたしたちは姉妹じゃなくなっちゃうよね」 そう、確かにその通りだ。でも、姉妹じゃなくなっても、私達は。 「でも、私達は恋人でしょう」 私の言葉に、柚子はそうだね、と小さく頷く。 「でも、恋人は家族じゃないもん。血のつながった家族じゃないでしょ」 「それは・・・」 「あたし達はさ。女の子同士だから結婚できないし、だから家族になる方法はないんだよね」 「・・・柚子」 「うん?」 「私だって、ひとりになるのは嫌よ。でもあなたは前に言ってくれたわよね、ずっと私のことを離さないって。ずっとそばにいてくれるって」 「うん」 「じゃあ、一緒なんだからあなたはひとりにはならないでしょ」 「うーん。でも」 「でも、・・・何?」 柚子は困ったようにつぶやいた。 「でも、わからないから」 「わからない・・・?」 「芽衣の気持ちがわからないよ」 「え・・・?」 「だって。まだ、芽衣から好きって言われたことないもん」 こんなこと言ってごめんね、なんて謝りながら柚子は言う。 「言葉だけがすべてじゃないって思うけど、言葉にしてくれないとやっぱりわからないよ」 柚子の言う通りだ。私はまだ一度も好きだと自分から言ったことがないのだ。言わなくてもわかってくれてると柚子に甘えていたのかもしれない。彼女はいつだって言葉にするのが苦手な私の気持ちを一生懸命理解しようとしてくれてわかってくれるから。でも、私だってもし柚子が好きだと一度も言ってくれなければわからないと思う。だから、いくら人の気持ちを読み取るのが得意な柚子だって、言ってもらえなければわからないのは当然だと思う。そんな当たり前のことも私はわからなかったのか。いや、わかってたはずなのに私は逃げていたのかもしれない。与えられてくれるのを受け止めるだけのほうが楽だから。 でも、柚子が言ってもらえないことで不安だと言うのなら。 じゃあ私が今しなくてはいけないことはただひとつ。柚子に私の気持ちを言葉できちんと言うことだ。でも、『好き』とは言えない。だって今言っても同情心から言ってるとしか思われないだろうから。彼女のことだ、自分が言わせてごめんねとか言いそうだし。一度でいいから好きだと言っておけばよかったのだと後悔の気持ちでいっぱいになる。でも今はそんなこと思ってる場合じゃない、ちゃんと言わなくては。好き、という言葉以外で。 「柚子」 「うん?」 「修学旅行のとき、私達は恋人同士になったけれど。その時、柚子が『あたしのこと好きでいいんだよね?』って言ったのに対して『付き合ってみないとわからない』って私が答えたのは覚えてる?」 「うん」 「もう、わからないんじゃなくてわかってるのよ、ずっと前から。言わなくてごめんなさい、言わなくても伝わってると思ってたから。でも、わからないって言うから、ちゃんと言うわ」 無意識に深く息を吸った。 「あなたはいつも私に、私のことをどう思ってるか言ってくれるわよね。私もあなたに対して同じ気持ちなの。私の言ってる意味、わかってくれる?」 「うんわかるよ、大丈夫」 「今まで言わなくてごめんなさい。今はまだ言えないけど、いつか必ず言うから待ってて」 「ふふ、わかった。いいよ、いつまででも待ってる」 「あと、それから」 「うん?」 「あなたはひとりになるのが怖いって言ったけれど。ひとりになることなんてないからもうそんな風に思わないで。だって」 「・・・だって?」 私はしっかりと柚子の目を見て言った。 「私がずっとそばにいるから」 「・・・それはプロポーズかな」 「何でそうなるのかしら」 「ごめんごめん、でもありがと。・・・ずっとって、いつまで、いてくれるのかな?」 「・・・あなたが私を嫌いになっていらないと言うまで」 「じゃあ死ぬまで一緒だね」 「・・・死んだら一緒にいてくれないのかしら?」 「ああ、ごめん。じゃ、訂正する。死んでも。・・・あっちの世界でも芽衣のこと離さないから」 「地獄に行って離れるはめにならないといいけれど」 「なんだよそれー」 「だってあなた地獄に行くようなことしそうだから」 「あ、ひどーい。お姉ちゃん傷ついたー」 なんて言い合ってるところに看護師さんが通り過ぎて行ったので二人黙り込む。そしてしばらくして。 「・・・芽衣」 「何?」 「すごく嬉しい、ありがとう」 「どういたしまして」 薄暗くてはっきりとは見えないけれど、柚子が笑顔なのがわかったから。 ちゃんと伝わってよかったと心から安堵するのだった。 「ん・・・」 朝の眩しい光に夢からさめる。そしてはっと我に帰る。 「ごめんなさい、私寝て・・・」 「いいよ、気にしないで」 知らぬ間に寝ていたようでこんな時に寝てしまうなんてと恥ずかしくなる。 「・・・あのさ」 「?」 「少し、離れてくれないかな?朝だし人の目がちょっと・・・」 柚子に言われて密着していた体を急いで離れる。ずっと柚子にもたれて眠っていたのだと思うと顔が熱くなった。 もう朝だけど。どうなってるんだろうか。そんなことを思っていたら、集中治療室から昨日お話しした医師が出てきた。 不安な顔をしている私達を安心させるようにその人は笑って言った。 「さっき、きちんと意識が戻りました。もう、大丈夫ですよ」 「本当ですか!?ありがとうございます!!」 喜んで、柚子を見ると固まってる。もしかして意味がわからないのだろうか。 「柚子??お母さん大丈夫、なんだけど。あの。わかる?」 私の言葉に柚子は小さく頷いて、 「・・・、よかった」 そう言ってぼろぼろ泣き出した柚子をそっと抱きしめて。柚子が泣き止むまでその背中を撫で続けた。 「柚子?顔色悪いわよ、大丈夫?」 「うん平気」 あのあとお母さんの入院の手続きをして(少し入院するだけで大丈夫らしい)タクシーで家まで帰ってきた。私は寝たけど柚子は寝てないし、気を張っていたせいでつ疲れたのか、顔色が悪い柚子が心配になってとりあえずソファに座らせる。 「ごめん、ちょっと寝る」 「そうね、寝たほうがいいわ。今暖房つけるから」 「ん、ありがと。あ、そうだ」 「?」 手招きする柚子に近づく。 「地獄に行かないように気をつけるね」 柚子の言葉に私はため息をつく。 「ええ、そうしてちょうだい」 「あ、ちょっと待って」 「何よ、早く寝なさい」 「うん、だから寝る前にキスして」 「あなたね・・・」 バカバカしいと離れようとすると、 「えー。おやすみのキスがないと眠れなーい」 「じゃ起きてなさい」 「えー?いいじゃんお願いだよ〜、芽衣、芽衣〜!!」 「もう、うるさいわね。じゃあキスしたら寝なさいよ」 「やったー!芽衣大好きー!」 そばに寄ってその頬にそっと手を添える。 きっと寝不足のせいなのか、触れた柚子の唇はいつもより少し冷たかった。 そういえば、今日は元日だとふと気が付く。 もう眠ってしまってる柚子を起こさないようにできるだけ小さな声で呟いた。 「今年もよろしく、柚子」 |