夕飯後、私は柚子に勉強を教えていたのだけど。
「う〜ん・・・」
隣に座っている私に寄りかかりながら寝てしまっている柚子を見てため息をついた。
本当は起こさなくてはいけないのに、安心しきって寝ているその小さな子供みたいな無邪気な寝顔を見るとなんだか起こすのはとてもかわいそうで。
どうしようかと思ったがとりあえずこのまま寝かせておくことにした。
他にやることもないし私が動いたら柚子が床に頭うちつけてしまうしとにかくそのまま柚子の寝顔を見つめ続けた。
で、前から気になっていたのだが、柚子はぱっかり口を開けて寝るのだった。口呼吸なのたけど喉が乾燥してやられないかと心配になる。あともうひとつ、よだれが結構でているのが気になる。どのぐらいでるかというと、以前私が貸したノートを下敷きにして寝てしまった時そのノートがびしょびしょになったくらい。まったく困ったものだ。ただ寝ているときにしていることは自分ではどうすることもできないことはわかっているからそれを柚子に言ったことはない。だって言ったら彼女のことだ、自分が悪いと思ってしまうだろうから。
で、まあ毎度のことながら今も結構よだれがたれてしまっていて、ほっといてもよいのだがテーブルの上にあるノートまで汚しそうな感じだったのでそばにあったハンカチで
そっと柚子の口元を拭ってあげた。なんだかハンカチの使い方が間違ってることには気づかないことにする。そういえばこのハンカチはこの間柚子がやっと手に入れたとか言って嬉しそうに笑っていたっけ。まだどういうのか見ていなかったのでなんとなく広げて見てみた。
「・・・」
なんか気色の悪いキャラクターが描かれていて私は頭をかかえたくなった。確かネットで予約してやっと買えたって言っていたけれど。これの何がよいのだろうか。こういうのを趣味が悪いと言うのでは。いや人の好みを悪く思うのはいけないとは思うのだが自分の恋人が趣味が悪いというのはなんとも言えない気分である。その趣味の悪い人間に好かれる私って一体。
なんて考えてたら柚子が熟睡しているのか首が不安定で落ち着かない様子だったので少しためらったがそっと柚子の頭に手を添えて私の肩に寄せた。そうすると柚子の寝息が耳元ではっきり聞こえるようになって。何故だかわからないけれどひどく安心する。心地よくてずっと聞いていたいと思った。こんな風に思う私はちょっと柚子にのめり込みすぎておかしいのかもしれない。でも、もうそこから抜け出せないのだきっと。
なんて考えながら何気なく柚子を見て、私は息を飲んだ。その目からぼろぼろなみだが流れていたから。そっと指で拭ったのにまた流れてくる。何か相当悪い夢でも見てるのだろうか。ひどくいたたまれなくなって私は思わず柚子の肩をゆすって起こした。
「柚子、・・・ちょっと起きて」
「・・・っ!」
私が起こすと柚子はびくっと体を震わせて、一瞬すごい表情私を見る。まるで、ひどく恐怖におびえるようなその表情に私は驚く。柚子のそんな顔は初めて見たから。
でもそれは一瞬のことで、すぐにいつものように照れくさそうに笑ってその手で頭をがしがしかきながら、
「あー。そっか夢か・・・」
「大丈夫?」
「ん、平気だよ、ごめんね寝ちゃって」
「いいわ、気にしないで」
柚子の顔はまだ涙で濡れていて。私はハンカチでそっとぬぐってあげた。
「?芽衣?」
「気づいてないのね」
「?」
不思議そうにこちらを見る柚子。
「あなた、泣いてたわよ」
「えっ。・・・ご、ごめんみっともないねあはは」
「別に怖い夢見たら誰だって涙ぐらいでるわよ、おかしくないわ」
「うん。そうだね」
そういう柚子の目は真っ赤だった。本人は気づいてないのだろうけど。
「またか・・・」
「え?」
「ん、何でもない」
「今、またって・・・」
「ああ、聞いてたんだね」
「またってことは。そんなにその悪い夢を繰り返し見ているの?」
「うん」
「トラウマみたいなかんじかしら」
「は?トラウマ・・・?」
「ちょっと。あなた知らないの?」
「ご、ごめんわかんない」
「・・・。簡単に言うと、昔というか過去のつらかったり嫌なことをずっと思い出してしまうことのことを言うのよ。心の傷、というとわかりやすいかしら」
「へえ・・・」
「あなたね。常識よこんなこと」
「あはは。ごめんごめん」
「まあいいわ。その夢は、いつから見てしまっているの?」
「んー?そうだね。3歳からかなあ」
「3歳から・・・?」
それを聞いてすぐに思いついた。3歳で彼女がしたつらい経験といったら。
「もしかして、あなたのお父さんのことかしら?」
「え。な、なんでわかるの?」
「だってあなたのお父さん3歳で亡くなられたんでしょう?」
「ああ。そうか。芽衣は頭いいねえ」
「お父さんのことね、なるほど。でもあなた3歳だったんでしょう、そんなに覚えているものなのかしら?」
「うーん。いや正直全然覚えてないけど」
「まあそうね、3歳の記憶なんてないものね普通は」
「んーでも・・・」
「でも?」
「あー。いいよ、この話やめよう」
「どうして?」
「だって。人のつらい体験て聞くほうもきっとつらいでしょ?」
「私が聞いたら私がつらい思いするから言わないという意味かしら?」
「うん」
自分がつらいから言いたくないのではなくて、聞いた相手がつらい思いするのが嫌だなんて柚子らしいなと思った。
「ねえ、その夢の話は誰かにしたことはある?」
「いやないよー」
「じゃあよかったら今話してみて?きっと言わないでひとりで抱えてしまっているのよ、言うと楽になったりするものよ?」
「そ、そうかな?」
「そうよ。そしたらその夢見なくなるかもしれないし、私は大丈夫だから言ってみて?」
「ん、わかった」
しばらく考え込むような仕草をしてから、柚子は口を開いた。
「んっと。あたしさ、パパのこと全然覚えてないんだよね。まあ3歳までしかパパはいなかったからそれは仕方ないんだろうけどね。でも、2つだけ覚えてることがあるんだよ」
「ええ」
「ひとつは、茶髪でママより背が高かったこと。もうひとつは・・・」
少し間があいたが私は柚子の言葉の続きを黙って聞く。
「もうひとつはね。死んだときって当たり前だけどお葬式するじゃん?その時、パパの顔、かな」
「その時の顔・・・?」
「うん」
「亡くなった後にどうやって顔を見るの?」
「んーと。ほら、死んだら棺桶入るじゃん。その時のパパの顔、かな」
「それ以外のお父さんの顔は覚えてないの?」
「うんそうだね。・・・でも」
「でも?」
「ちゃんとした顔は覚えてないなあ」
「3歳だからあまりはっきり覚えてないという意味かしら?」
「んー。そうじゃなくてね。あの時の。棺桶の中で眠ってるパパの顔がさ。あれはちゃんとした顔じゃないじゃん?」
「そうね、死に化粧とかしているものね」
「あ?何それ?」
「ちょっと知らないの?」
「う、うん」
「死んだ人間て血が通ってないから顔色真っ青だったりするのよ。なんかつらいじゃない?そういう姿見るのって。だから奇麗に見えるように化粧してあげるのね」
「あー。だからあの時のパパの顔はきれいだったのか、ふーん」
「え?じゃあちゃんとした顔じゃない」
「うん。半分は、ね」
「半分・・・?」
「パパの顔が半分だけでていて、あとは布団かなんかわかんないけどなんかかけてあってね。あれはまあこう。見えないようにって意味なんだよね、今はわかるけどあの時はそれがわからなくてね。だからあたしその布団らしきやつをめくって見ちゃったんだよ。そしたら・・・」
「そしたら?」
「半分、なかったんだよ」
「何が・・・?」
「顔が」
「・・・」
つまり、こういうことだろうか。お父さんの顔が、半分しかなかった、と。
頭の中でそれを映像化してみて思わずぞっとした。もし、私だったら。私のお父さんのそんな姿を見てしまったら。きっとつらすぎて私だったらとても耐えられない。しかも、それが忘れられずにずっと3歳の時からそれを夢に見てるなんて。あまりのことにかける言葉もでてこない。
「なんでかな、他は何も覚えてないのに、それだけがはっきり鮮明に覚えていてね。印象的なことは記憶に残るっていうからそういうことなんだろうね」
「それを、夢に見てしまうというわけね」
「うん」
「そう・・・。なんとか忘れられたらいいのに・・・」
「ん?いや忘れたくはないよ」
「え?どうして?」
「だって、あたしのパパの記憶ってそれしかないんだもん。それ忘れたらあたしの中のパパの記憶がゼロになっちゃうじゃん?だから、忘れるのはやだよ」
「・・・」
「あたしさ、時々パパがいたんだってことを忘れそうになる時があるんだよね。だって3歳のときからいないから。だから、こうして度々夢を見るのはいいことなのかもしれない。忘れそうになってても、夢を見たら思い出すから」
「だってつらいでしょう・・・?」
「パパのこと忘れてしまうほうがつらいよ」
「・・・じゃあ、こういうのはどうかしら?忘れそうになったらお母さんにあなたのお父さんのことを色々聞くとか。そうしたら思い出せるでしょう?」
「いや、それはできないよ」
「どうして?」
「あたしがパパのこと聞くとママすごい悲しそうでつらそうな顔するんだよね。だから聞けないよ」
「でもきっとあなたがつらいのはお母さんもつらいと思うわよ?」
「それはそうだけど、それはあたしがつらいってことをママが知ってたらだよね。つらいってあたしが言わなければママはあたしがつらいってわからないでしょ?」
「だから言わないの・・・?」
「うん」
「そんな。だって。それじゃあなたは幸せじゃないじゃない」
「え?そんなことないよ?あたしは自分が不幸だなんて思ったこと一度もない。つらかったり嫌な思いをしたりすることは不幸なの?そんなこと言ったら世の中の人はみんな不幸ってことになっちゃうよ。幸せかどうかっていうのは他人が決めることじゃないんじゃないかな。仮に周りの人がどんなにその人のこと幸せだって思ってたって、本人が幸せだって思ってなかったら意味じゃないじゃん。その人にとっての幸せが何かなんてその人にしかわからないと思うよ。で、その人が幸せだって自分で思ってるのならそれが幸せなんだと思うんだけどなあ」
時々思うのだがこの人は本当に私と同じ年なのだろうか。こういう風にきちんと彼女の意見を聞くたびにそう思う。
「じゃあ、あなたは今幸せだってことでいいのかしら?」
「うーん?まあ不幸ではないから、幸せなんだろうね。でも・・・」
「でも?」
「欲を言えばもっとあたしの願いが叶えばさらに幸せかなあ」
「願い・・・?」
「うん」
「どんな願いか聞いてもいいかしら?」
「いいけど、別に結構普通の願いだよ、理想とも言うかなあ」
「普通の願い?何かしら、ちょっとわからないから言ってくれる?」
「え、なんか芽衣の前で言うのは恥ずかしいなあ」
「?」
「まあいいや。えっとね」
少し照れくさそうに笑いながら柚子はこう言った。
「好きな人と、ずっと一緒にいられること、かな」
「・・・好きな人って誰よ」
「え?芽衣に決まってんじゃんあはは」
「・・・」
「ん?どしたの?芽衣」
「別に、なんでもないわ」
柚子は自分が何を言っているかわかってるのだろうか。よくそういうことを恥ずかしくもなく言えるものだ、と感心してしまう。
「つまり、あなたは私がいれば幸せなのね?」
「うん!」
「・・・じゃあ。ずっとそばにいてあげるわ」
「えっ。い、いいの?」
「私が、嘘をつくとでも?」
「い、いやそんなこと思ってないよ、うわー嬉しいなあありがとうえへへ」
「もう寝るわよ」
「え?そんな時間か〜」
と、ベッドに向かおうとすると。
「あ、待って芽衣。ひとつ聞きたいんだけど」
「何?」
「あのさ。芽衣は好きな人といられたら幸せだったりする?」
「・・・当たり前でしょ」
「そっかあ。じゃあ芽衣が好きな人って誰?」
「・・・」
「え。何、どしたの変な顔して」
「あなたそれ本気で言ってるの?」
「う、うん?」
私はため息をついた。まったく柚子は鈍感だなと思う。
「あのね。私達恋人同士よね」
「うんそうだね」
「恋人っていうのはお互い好きなのを恋人同士って言うでしょう?」
「う、うん?」
「じゃあ、私が誰を好きなのかわかるでしょ」
「・・・げ!もしかしてあたし!?」
「何驚いてるの、あなた頭ちょっとおかしいんじゃないの?」
「うわーん!芽衣〜!」
「ちょっ、抱き着くのやめなさいもう寝るんだから」
「だって嬉しいよ〜!」
「わかったからちょっと離れなさい暑いわよ」
「寒いから暑いほうがいいじゃん〜」
「寝るっていってるでしょ離れないと別れるわよ」
「うわあ!いやだ!それはいやだー!!」
「じゃ離れて」
「わ、わかったよう・・・」
なんだかものすごく疲れたので、うなだれてる柚子をほっといて私はそのままベッドに入ったのだった。

「どう?眠れそうかしら?」
「うん。大丈夫」
もうすぐ眠りに入りそうな柚子を見て思った。結局柚子の話を聞いてあげることはできたけれど、悪い夢を見ないようにはできなかった。また、これからもあんな風につらい夢を見て泣くのを繰り返すのだろうか。そう思うといたたまれなくなって私は思わず柚子を抱きしめた。
「?芽衣?」
「こうすれば、・・・あなたが怖い夢を見ずにすむかと思って」
「あはは。そうだね、ありがとう芽衣。あ、でも」
「え?」
「あたしお姉ちゃんなのにみっともないなあ」
「気になるの?」
「うん」
「じゃあ・・・」
「?」
「今だけは。姉妹じゃなくて、ただの恋人同士でいるのはどうかしら」
「いいね、それ」
「・・・おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
お互いそのまま目を閉じて眠りについた。
私がいることで柚子が怖い夢を見ずにすむのなら。
・・・きっとそれが、私があなたのそばにいる理由。




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